【短編小説】もうマジ、マンガの神様からの天啓待ちしかないわ、これ ー 『卜』 vol.1
渋谷といえば盛るところ。偽りの街、渋谷。
何もかもにフィルターがかけられて、あっちが映えでこっちも映えで。それがバーッと世界に拡散されて、人々の意識に堆積してできた、虚構の街。
そんな渋谷の片隅で、わたしは今、完全なる消しカス製造機と化していた。
『十ページのヒーロー漫画を描きなさい』
そんな課題が出てから早四週間。
提出締め切り二日前にして、原稿は未だ一枚も進んでいない。
わたしはカーテンを閉め切ったままの部屋の中で、四週ものあいだ課題に手をつけずにいた過去の自分を呪いながら、グツグツとした焦燥感に煮込まれていた。座りっぱなしのお尻が痛い。
マンガを描くのは座り作業だからと、腰への負担を配慮してニトリで買ったドーナツ型クッションは、今ではもうただの薄っぺらな丸で、床の感覚がダイレクトに伝わってくる。
わたしは課題に向きあうのを諦めて、ペンから手を離す。
ウガーッと声を出しながら腕を振り上げ伸びをすると、肩甲骨辺りの凝り固まった筋がゴリッと音を立てた。そういえば、もうずっと運動なんてしていない。
メガネを外して目頭を揉む。フーッと長く息を吐いて、それからメガネ掛け直し、改めて部屋を見ると、そこは空き巣に入られたあとのような惨状だった。
タンスの引き出しは中途半端に引き出しっぱなしで、そこからは服の袖やら首ぐりやらが飛び出しているし、ベッドの上にも脱ぎ散らかした服が散乱している。
床にはクシャクシャに丸めて放り投げた没プロットの残骸とカップ麺やコンビニ弁当の空容器が転がり、置き場のない少年漫画雑誌やら単行本やらが四方八方で積み重なっている。
到底女子の部屋とは思えない。
課題を提出したら掃除をしなくては。
提出期限前にはいつもそう思うのに、結局提出を終えると解放感に満ち溢れて、グダグダと過ごし、気がつくとまた提出期限に追われている。無限ループがぐるぐるぐる。
部屋を見回して、最後に目に留まったのは、机の上にある、昨日買ったばかりの少年マンガ雑誌だった。
今週の読み切り、面白かったよなぁ。
わたしは腕を伸ばして雑誌を手に取る。パラパラとページをめくり、その読み切りを開いた。
扉絵と呼ばれる作品冒頭の一枚絵のページには『編集者を唸らせた若き新人マンガ家、ついに本誌初登場!』と煽り文が付いている。
ふと、タイトルのそばにある、作者の名前に目が止まった。
わたしはこういう誘惑に、すこぶる弱い。
ちろり、と携帯に視線を移す。
しばし頭の中で葛藤したのち、しかし、やっぱり誘惑に負けて携帯を開いた。
作者の名前を検索欄に打ち込み、検索を押す。一瞬で画面が切り替わった。
新人マンガ家というだけあって、ネット上に出回っている情報は少ない。だけど、探していた情報は簡単に見つかった。
その人の年齢は、わたしより二つも年下の十七歳だった。
そっと携帯を閉じる。心のモヤモヤを吐き出すように、一つ大きなため息をついく。
また、やってしまった。
わたしは努力ややる気はないくせに、そういうプライドだけは人一倍高い。それをわかっているのに。
この街に来てから、自分で自分の心を黒いクレヨンでぐちゃぐちゃに塗りつぶすような、そんなことを、もう何度繰り返しているだろう。
ほんと、ドMかよ、わたし。
でも、いいな。きっと、この人にはあったんだろうなぁ。才能ってヤツが。
「あなたにそっちの才能は、あまりないみたいね」
一年くらい前、占い師はわたしに向かって静かにそう告げた。
「穴場の占い屋さん、見つけたんだよね」
明里がそんなことをいったのは、わたしたちが渋谷のマンガ専門学校に通い始めて半年が経ったころだった。
わたしと明里は学校終わりに、東急ハンズに行って、原稿に貼るシール、スクリーントーンを何枚か買って帰っている途中だった。
「穴場の占い屋?」
「そう! いつも人の居る気配がないの」
それは、穴場じゃなくて、人気がない占い屋ってことなんじゃなかろうか。そんな風に心の中で思いながら、へぇ、そうなの、と答えらたら、
「穴場なんだよ! 穴場! ほら、ホームページ見たけど、結構テレビとか出たことある先生みたいだもん」
彼女はケータイの画面をわたしに向けた。そこには、水晶を片手に微笑む、妖艶な四十代くらいの女性の写真と、有名なテレビ番組出演情報や、芸能人を占ったことが記載されていた。
「ね? すごいでしょ? 有名な人だよ。千智ちゃんはさ、占いって信じる?」
「うーん、いいことだけ、信じるかな」
占いに興味のない人が言いがちの、いいとこ取りで虫のいい回答をする。
「えー、それ、占いに興味のない人に、ありがちなやつー」
案の定、彼女はそう言って不服そうに唇を尖らす。
「明里は信じるの?」
「うん、わたしは結構そういうの信じちゃうなぁ。いいことも、悪いことも。あ、そうだ、ここから近いし今から行ってみない? 将来マンガ家になれるか占ってもらおうよ」
「え、これから? まあ、別にいいけど」
占いを信じちゃうと言いながら、自分の夢を占ってもらおうとする彼女はなかなかに図太い。
明里のいうとおり、わたしは正直占い自体にあまり興味はない。けれど、人生で一度くらいそういう経験をしてみるのも、面白そうだと思ったのだった。
(vol.2に続く)