【小説】乙姫の場合 ー 竜宮城の解釈
竜宮城には自由が無い。なぜって、構成員が魚だからだ。
魚に人権は無いし、人権が無ければ自由なんていう概念も生まれない。
乙姫や彼女の父をはじめ、竜宮城に住む者の中には人間と同じ姿形をした者もいたが、生まれたときには魚の姿、成長するにつれ手足が生えて尻尾が引っ込む、というだけで、生物学的にはやはり魚。
生まれたその瞬間から「良いオヨツギを産め」とだけ言われて育った乙姫は、なぜそれを屈辱に感じるのかさえわからなかった。ただ、海水の中で白く光る肉体は単なる遺伝子の容器に過ぎないのかと落胆した。
冷たい海の底で溺れるように過ごしていた乙姫は、次第に露悪的なものを愛するようになった。
波に飲まれた人間を助けるでもなく眺めたり、古くからの側近の魚を活け造りにして食べたりすると、どうしてか慰められる心地がした。人権が無いのだから、咎めるものもいない。
ある日、竜宮城の職員を助けたとかいう人間が地上から連れてこられたが、阿呆を絵に描いたような顔で魚の踊りを眺めているのを、乙姫は馬鹿にして笑った。
想定外だったのはその人間、太郎が乙姫に微笑み返したこと。乙姫はその瞬間、幸か不幸か、初めて「淋しい」とか「嬉しい」とかいう言葉の本当の意味がわかってしまったらしい。
「一緒にご飯を食べると美味しく感じる」とか、
「声を聴くと鼓動が早まる」とか、
「目を見るとその人との子どもの姿を想像してしまう」とか。
乙姫は、地上の人が『恋』と呼んでいるらしい感情が、一見不合理な形で、身体変化として現れることを実感した。
肉体は単なる容器じゃないことをようやく確かめることができて嬉しかった。愛情は様々な方法によって表現することが可能で、表現することこそが愛情だということを学んだ。
そしてもう一つ学んだこと。
それは、一度裏切りにあった愛情はもう二度と手に入らないということ。愛情を知らなかった頃には感じようがなかった苦しみを味わった。
太郎に出会って背徳が何を意味するかも知ったけれど、太郎が去った後、背徳行為が乙姫を癒すことも無くなった。