【小説】太郎の場合 ー 竜宮城の解釈
渋谷には海が無い。池袋には水族館があるけれど、それすら無い。
「智恵子は東京に空が無いという」とは『智恵子抄』の有名な一節であるが、瀬戸内海を臨む海辺の街で幼少期を過ごした太郎にとって、海の有無は空の在り方よりも取り沙汰すべき事柄に思われた。
名前の読めないハンバーガーショップ、
第二外国語のクラスで出会ったガールフレンド、
デートで履くためのスニーカー。
雑誌『POPEYE』のような文句のない大学生活は、田舎で苦しい受験勉強をしながら思い浮かべていた生活そのものだったし、きちんと満足しているつもりだった。
しかし、マクドナルドで隣の席の就活生が似合わぬスーツに包まれて横文字を並べ立て始めたり、目の前の恋人が付き合ってから何回行ったかわからないディズニーランドにまた行きたいと言い出したりすると、付け合わせのフライドポテトの塩によって、たちまち遠い海の波の音を思い起こしてしまうのだった。
野村周平を意識した男子大学生が着てそうな洋服のブランドの名前も、
単位を落とさないための授業の上手なサボり方も、
本当はちっとも知りたくなかったような気がした。
この類の感傷は、ガールフレンドに説明したところで到底理解されなかったが、彼女のその能天気とも形容できるあっけらかんとした様は、実は太郎が気に入っているところでもあった。
とにかく、ふとしたことから太郎が竜宮城にやってきて、酸素が無いはずの海の底で、ようやく呼吸ができたような感覚に至ったのは当然といっていいかもしれない。
歓迎の証として、鯛(たい)や鮃(ひらめ)によって踊りが披露されたとき、太郎は胸の深いところを打たれたような気がした。
人間誰しもいるべき場所、自分を受け入れてくれる場所があるのだと直感した。
その時、そんな太郎の様子を見て驚き、それからけたけたと笑ったのが乙姫である。
今まで竜宮城で客をもてなすことはあっても、踊りと称した鯛や鮃の単調な泳ぎをみて欠伸(あくび)ひとつせず、ましてや感動さえしてみせる者は誰もいなかった。余程の変わり者か、余程つまらない場所からやってきたのだろう。
「面白い、面白いわね」という乙姫のはしゃいだ声が太郎の耳に届いた。