【小説】世紀末とか、渋谷とか。 ー 渋谷≠世紀末 vo.4
わたしたちは渋谷駅からほど近い小洒落たカフェで向かい合って座っていた。
加奈さんが、少し話しましょうと言ったから。
彼女の背中を追う道中、必死で状況を理解しようとしたけれど、やっぱり意味がわからなかった。
シュンスケ宛の手紙に、シュンスケのフリをして返事を書いた。そこから加奈さんとのやり取りが始まり、シュンスケに会いに加奈さんが来た。
ここまではわかる。なのに、加奈さんはシュンスケなんて人はいないと言った。一体何がどうなっているのか。
「好きなの頼んでいいよ」
そう言って加奈さんはメニューを渡してくれたけれど、この状況で、はい! わたしジャンボパフェが食べたいです! などと言えるわけもない。
「あ、じゃあ紅茶……」
おずおずと言うと、彼女は店員を呼んで紅茶とコーヒーを注文した。
わたしは居心地が悪くてテーブルの下でもぞもぞと手の平をすり合わせる。
さっきは笑っていたけれど、加奈さん本当は怒っているんじゃないだろうか。シュンスケがいないというのは、わたしと話をするための嘘なんじゃないだろうか。いろんな考えが頭をもたげて苦しくなる。
どう切り出したらいいのだろう。そもそもこちらから声をかけていいのだろうか。
ちらりと加奈さんの様子を伺ってみるけれど、彼女は携帯をいじっている。
あまりの気まずさで、いよいよトイレに避難しようかと考え出したところで、
「これが、シュンスケ」
そう言って加奈さんは携帯をわたしの前に差し出した。恐る恐る画面を覗き込む。
そして言葉を失った。
そこに写っていたのは、タキシードに身を包んだ、気品があって、賢そうで、太い鼻筋と優しげな瞳を持つ、英国紳士のような雰囲気の、犬だった。
「い、犬……」
「可愛いでしょ? ダックスフンド。名前がシュンスケ。享年14歳」
画像の中のシュンスケはキラキラと目が輝かせている。
わたしの想像した、飄々と我が物顔で渋谷を歩くシュンスケの姿は影も形もない。というかそもそも種族すら違う。
あっけにとられるわたしを見て、カナさんはケラケラと笑った。
「ビックリした? シュンスケとは、わたしが7歳の頃から一人暮らしを始めるまでずっと一緒だったの。でも二ヶ月前に亡くなってしまって」
加奈さんが携帯の画面をフリックする。さまざまなシュンスケの写真に切り替わっていく。
笑っているかのように口を開けてこちらを見上げている写真。
犬用ケーキの前に座っている写真。
芝生の上でボールをくわえている写真。
彼の表情から、愛情たっぷりに育てられたことがひしひしと伝わってきた。
「シュンスケが亡くなった後、お墓にお別れの手紙を入れようってことになったの。だから手紙を書いて実家に送ったつもりだったんだけど、気が動転していたのね、住所を書き間違えちゃったみたい」
ごめんね、と言って加奈さんは頭を下げた。わたしはブンブンと頭を振る。
「あの頃はシュンスケがこの世にいないことを受け入れられなくて、本当死んじゃいたいくらいつらかった。二十四時間ずっと泣きっぱなしでご飯も食べられなくって。仕事にも行けなくなっちゃって」
加奈さんは携帯の画面に映るシュンスケを親指の先で撫でながら言う。
「でも、あなたからの手紙を読んで、笑っちゃった。まさか、シュンスケから返事が返ってくるなんて思ってもみなかったもの。犬から……ッ手紙……フッ…なんて……グフッ」
よっぽどツボなのか、ちょいちょい言葉の合間に笑いが挟まっていた。
自分の愚行を思い出して顔が熱くなる。穴があったら入りたい。スコップがあれば、自分で掘ってでもいい。どこでもいいから埋まりたい。
しばらく肩を震わせ続けた加奈さんは、笑いすぎて出た涙を指の腹で拭って、それからまっすぐにこちらを見た。
「あなたに救われたのよ。ありがとう」
結局、どこから間違っていたのかといえば、最初から間違っていたのだ。
シュンスケなんていう男の人はいないし、それに縋る女の人もいない。全部わたしの頭の中に存在していただけだったのだ。
けれど、まさか感謝されるとは思わなかった。
加奈さんのまっすぐすぎる瞳にびびってわたしは視線をそらす。彼女の向こう、窓の外に、109の文字が見えた。
わたしにとっての渋谷の象徴。悪の巨塔。たぶん、あそこにも、世紀末的世界は広がっていない。
(終わり)