誕生日
先日、友人が「もうすぐ誕生日だね!」と。
今日はいつですか?何も用意していないですが。すっかり忘れていましたが。えっ、どうしよ。あの、誰の誕生日ですか?と慌てふためいてると、「アンタでしょ!!!」と言われてしまった。私だった。
誕生日、忘れている。気づいていない、と言う方が正しいか。
夜勤日勤を繰り返し、毎日仕事だけを追いかけていると、日付が進んでいる感覚がまるでない。ボケでもなんでもなく、平気で「2018年」とか書いて書類提出したりする。「いまを生きろよ」とか言われたりする。
日頃そんな感じなので、誕生日は覚えているけど、その日になっていることに気づいていない。
同様に、約束の日を覚えているけど、約束の日になっていることに気づいていないこともある。そのせいで一度、悪気はないがドタキャンしてしまったことがある。悪気のないドタキャンなんてこの世に存在しねーんだよすいません。
子供の頃は誕生日の1ヶ月前から大騒ぎし、毎日指折りカウントダウン。当日は家族できのとやのホールケーキを食べた。学校では友達が文房具セットや髪留めなどをくれた。よく分からないが、この日だけは私が主役。主役だからプレゼントをもらえると思っていた。
社会人になり、誕生日は特別な日でも何でもなく、ただの平日になった。出張先のビジネスホテルで、夜ごはんにカロリーメイトを食べていた22歳の誕生日は、さすがに「この状況はなんだろう」と思ったが。
(翌週実家に帰ったら、両親がウサギの顔面ケーキでお祝いしてくれた。その可愛い顔にろうそく22本もよく刺せたな)
私は誕生日が怖い。
いつもは気配を消しているくせに突然現れて、自分の年齢を強制的に自覚させられる。同時に、いかに自分が成長できていないかを知らされる。
常識もマナーも教養も、何も身につけることなく、あっという間に大人になってしまった。社会、息しててごめんなさい。組織液が滲むまで地に額をこすりつけて土下座したい。
誕生日は「今年こそ、こんな大人になりたい」と抱負を立てるけれど、翌週には忘れている。また日付感覚を失っている。目の前のことを追いかけている間に1年経ち、去年と何も変わっていない自分を見てがっかりする。
この1年で私は何を学んだのか。どれだけ成長したのか。思い返しても具体的なものは見えてこない。
今の自分から目を逸らしたい。将来を考えたくない。どうか誕生日が来ないでほしいとばかり願っている。
しかし今年は、捉え方を変えてみる。
もし、誕生日という存在がなかったらどうだろう?
我に返ることはしないだろう。自分が今置かれている状況を、自分に今足りないものを考えることもないだろう。
きっと、それらを考える日。それらを教えてくれる日だ。
誕生日がなかったら成長をやめてしまうかもしれないな。
私に今足りないものはなんだろう。
美しい立ち振舞いを覚えたい。コミュニケーション力が欲しい。新しいことを勉強して資格を取りたい。新しい電子レンジが欲しい。ヨガとか始めたい。たらこごはんをお腹いっぱい食べたいし、洗面器で杏仁豆腐を作りたい。
私は今日、25歳になる。